フィルム傑作選 ソクーロフ

全16作品を35ミリフィルムで一挙上映! 2011年7月23日(土)~8月5日(金) ユーロスペースにて

 上映作品解説 | トークショー | 上映スケジュール・料金 | 予告編 | ソクーロフ監督からのコメント

トークレポート 亀山郁夫さん(7/26)

7月26日は、ドストエフスキーの翻訳で知られる亀山郁夫さん(東京外国語大学学長)に<『罪と罰』とソクーロフの世界>をテーマにお話しいただきました。ドストエフスキーとソクーロフの世界への深い考察を示唆された貴重な時間でした。
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DSCN1533ソクーロフにはソビエト体制への根本的な批判がある
20年ほど前に初めてソクーロフの作品を見たのがきっかけですが、稀なるロシア人でしょうか、一言でいうと抽象的で薄っぺらになるのですが、反骨精神の旺盛な映画監督でもあり、これまで作ってきた作品の多くがソビエト体制への根本的な批判をはらんでいる。それも表面的ではなくソビエト体制を見ているひとりの哲学者と私は思っています。

これからご覧になる「静かなる一頁」は(ロシア語では複数形なので一頁ではないのですが)、『罪と罰』が原作で、ラスコーリニコフが二人の女性を殺害してから自首して出るまでを幻想的なタッチで描いているのですが、ドラマティックなシーンを期待するかもしれませんが、原作の『罪と罰』では最も平凡で、いくつかのエピソード風に語られるに過ぎない場面を数珠つなぎにしていく。その中で主人公がソフィア・マルメラードワに告白する、そこを一つのクライマックスとしている。皆さん『罪と罰』を読んでいるでしょうから、自分自身の『罪と罰』との対比の中でこの映画をご覧になるでしょう。

ペテルブルクの消滅と終末的な世界観
ペテルブルクは18世紀初頭に建設され300年の歴史を持っています。建設に際しては膨大な犠牲を出しています。ペテルブルクはいつか海に沈んでゆく、消滅するという神話が根強くあって、ある種、世界の終りというイメージを多くの芸術家が描いてきたとするならば、ソクーロフもこの「静かなる一頁」でペテルブルクの消滅を人間の終わりの結果として、終末論的な世界観を描こうとしているのではないか。それは彼の「エルミタージュ幻想」にも共通するペテルブルクの神話にまつわるモチーフだと思います。『罪と罰』をお読みになった方はさまざまな謎めいたディテールを思い浮かべるかもしれません。私も『悪霊』の翻訳をちょうど終えたところなのですが(10月か11月に刊行予定)、このところドストエフスキーに対する見方が変わってきています。

ドストエフスキーは答えを用意しない
私の尊敬する先生、江川卓さんが『謎とき「罪と罰」』という本を書いています。ドストエフスキーの小説世界についての謎解きなのですが、最近、この謎を解くという姿勢そのものが果たして正しいのか、という思いに駆られるようになりました。江川先生は謎解き精神でドストエフスキーに向かっていった。でももしかすると、そういうものを否定したのがドストエフスキーだったのかもしれない、と思うようになったんですね。理由というのは、ドストエフスキーは答えを用意してない、答えを出すのは読者の自己満足にすぎない。むしろ答えを出さないところに、文学の豊かな部分、神秘的な部分を大事にしようと。多くの読者は謎を小説のどこかに置く、つまり鍵を見出そうとするわけですが、ドストエフスキーはむしろ曖昧にぼかして、むしろそれがあるのかないのか、という境界線上に文脈を作り上げる、という印象をもちました。今日は、村上春樹の『アフターダーク』という小説を読みながら来たんですが、小説の中でトロンボーンを演っている青年が、突然トロンボーンをやめて法律家になりたいとなる。法学部の学生ですから、裁判所に通っている中で、すさまじくどす黒く、真実というのは幾重にもあるような力に呑み込まれる経験をして、それがきっかけになる。この『罪と罰』も真実というものがいくつもあるように多重的に作り上げることによって、むしろ答えを消滅させる方向でドストエフスキーは小説を書いていくのかな、と思うのです。ソクーロフの映画を見ると益々その思いを強くします。謎の答えはないんだ、むしろひとりの人間と物質世界との対話しかないんだ、そんな感覚を見る人の心にもたらす、というか・・。私自身もこの映画が好きで何度も見ているのですが、人間と世界、とりわけラスコーリニコフのように、二人の女性を殺してしまった後、極限の、言葉は旧いのですが、実存的な状況にいるわけですよね。ですから見る人もただ漫然と画面の中に自分を投影するのではなく、もし、できれば自分自身が何か罪を犯しているという、その罪の記憶の中で、ラスコーリニコフが今背負っている苦しみの深さを自分自身の中に思い浮かべながら、どんなふうに物質世界が迫ってくるか。対話を経験していただければ、と思います。

すさまじい荒廃の中ですさまじい人間の荒廃が現れるDSCN1540
この映像の中に描かれるペテルブルクの町を私は見たことがないのですが、恐らくソクーロフはペテルブルクの町を隈なく歩き回ってその場面を探してきたのでしょう。『罪と罰』の舞台は1866年ですから、町ができて150年。あの町は大理石と石と木でできた町です。建設されて150年経過するとどんな町になるかを、思い浮かべてほしいんです。今日、ユーロスペースのこの立派な建物に入ってきて、建てられてから何年ですか、と思わず聞いたら、5年ですって。150年後のユーロスペースがどんな形をしているか。ペテルブルクのように、ピョートル大帝がすさまじい人力と財力を傾注して造った町であっても、150年を経るとすさまじい荒廃をみせるわけです。そのすさまじい都市の荒廃の中で、すさまじい人間の荒廃が現出するわけです。それをラスコーリニコフという一人の青年がじーっと見ているわけです。ラスコーリニコフをソクーロフが背中から撮る場面と正面から撮る場面とあります。背中から見ているときにはペテルブルクの沈黙の世界、世界の終りの世界として経験し、ラスコーリニコフにイエス・キリストのような聖なる輝きを見るわけですが、正面から主人公を見ると、生々しいひとりの人間としての苦しみが浮かびあがってきて、二重の罪を犯したイエス・キリストとでも言いましょうか、この終末的な混沌にみちた世界を見るひとりのエリートと、イエス・キリストのある種の像と重ね合わせて経験できるかな、と思います。

際立つソーニャの存在感
また、私の一番鮮明に残っているのはソーニャ・マルメラードワという女性です。これまでに何種類かの『罪と罰』の映画があります。ソ連時代の白黒の作品の俳優比べると、若干甘さを残したラスコーリニコフではあるのですが。今回、際立っているのはソーニャのキャスティングかな、と思っています。ロシア語の発っし方のある種異様さ、とでも言いましょうか、霊性、人間の霊というものを伝える発音、と言いましょうか、語り方というか身振りといいましょうか。一つひとつが神がかっているんですね。彼女の存在感が際立っている。江川卓さんのことに話を戻すと、新潮社から出ている『謎解き『罪と罰』』という解説書の中では、ラスコーリニコフとソーニャ・マルメラードワとの間には何らかの関係があった、という解釈を施しているんですね。江川卓さんの解釈が、果たして真っ当かどうかというのを、映像を通してみて見るのもよいかもしれない。ソクーロフの見るラスコーリニコフとソーニャ、二人の男女の関係の本質はどんなものか。いわゆる愛とか恋とか、もっともっと深い魂のつながりとか。ことによるとラスコーリニコフは単に暴力的にソーニャ・マルメラードワを見ているのか。いろんな思いと、皆さんが実際に読書して得たことと映画との落差を図るのもいいのではないか、と思います。

「セカンド・サークル」ロシア人心の中にある復活
「静かなる一頁」は1990年代の半ばに作られたのですが、「セカンド・サークル」「ストーン」とで三部作になっていて、「静かなる一頁」は最後の三作目になります。私は「セカンド・サークル」が、ひときわ好きなのです。非常に難しい映画だと思うですが。ロシアの人々の心の中にある<復活>という思い、人間が甦る、ということに対する物質的想像力というのでしょうか、キリスト教精神の奥義を単に復活という言葉でとらえるのなら、復活というビジョンが描き込まれていて、素晴らしい深さを持った映画であると思います。その一連の流れ。復活というテーマを巡っての三部作。「静かなる一頁」も復活というテーマがどんなふうに映像化されているか、とりわけ ラストシーンに注目していただけるといい、と思います。ラスコーリニコフという男は最後まで自分の罪の意味に気付いていないし、傲岸で、傲慢な男であるわけですが、自分の罪の正当化を最後まで続けている男です。そのような男に救いの道があるのか。罪の重さ、それからの復活というテーマをそれぞれに探っていただけるといい、と思います。


トークレポート 岡島尚志さん(7/24)

7月24日(日)に行われた、岡島尚志さん(東京国立近代美術館フィルムセンター主幹)によるトークの概要をご報告します。まず、壇上で持参した35ミリフィルムそのものを会場に向けて見せて始まった内容は、情報としても思想的にも刺激的でした。
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110724岡島_2地上アナログ放送が終わった今日 映画フィルムの魅力について話すには最適な日 
映画フィルムを見たことすらない人が増えていると聞きます。私なんかこれを愛おしいと思います(と35ミリのフィルムそのものを会場に向けて見せる)。映画館でフィルムで見るというのは最も本質的な映画体験であったはずですが、今や、「映画フィルムの魅力」という演題で話すのはなかなか難しいことになりつつあります。

しかし、今日はその話をするのに最適な日ではないかと思います。というのはちょうど2時間前にすべての地上アナログ放送が終わったからです。平成13年に電波法が改正されてから国も産業界も10年をかけて、テレビの地デジ化を進めてきました。ですが、多くの一般の人たちにとっては、なぜ地デジ化が必要なのかがわからない。今朝の朝日新聞に<地デジ化をするとこんなにいいことがある>という特集が出ています。データ放送ができる・マルチ編成ができる・インターネットとの連動ができる・多チャンネル化できる……そして、画質がよくなる。それはいいことかもしれません。ですが、その中の一つ、「画質がよくなる」というのは、結局、芸術のよくわからない人のする議論にも思われます。例えば、貧しい芸術家が安物の絵筆で質の悪い紙に絵を描いたとする――でも、それが偉大な芸術になることもあります。また、芸術家によっては、わざと紙の質を落とすといったこともするでしょう。それから、白黒からカラーになったとします。多くの人がそれはいいことだと言います。今までなかったことですから、確かにいいことかもしれませんが、芸術の議論からすると、色のついたミロのヴィーナスとか、塗り絵で色を施した雪舟の絵なんて考えられない、というのと同じで、色が付いたからと言って“高級”になったとは絶対に言えない。こういう議論を置き去りにして、技術が進み、私たちの文化や芸術の環境を変えていく、ということが起きているわけです。

無声映画からトーキーに移り失ったもの
私が訝っているのは、無声映画からトーキーに移った1920年代後半の時もおそらく同じだったのではないか、ということです。音が付く、それは悪いことではないかもしれませんが、20年後、あるいは30年後――まだ100年は経っていませんが――私たちはとんでもないことをしてしまったのかもしれないと気づくことになるのです。まず何よりも、その変化の中で、不要とされた無声映画をたくさん失ってしまった。そして、今、改めて無声映画を見ると、そこには偉大な芸術性が感じられるわけですから、後悔はとても大きなものになります。でも、もうあとの祭りです。

地デジ化推進の過程で、テレビ放送の画素数が増えることに加えて、双方向になるという利点が強調されましたが、これは二つの支配的な現代思想と結びついています。それはすなわち民主化と環境保護の推進です。インターネットの普及は民主化を進める、双方向通信は直接的に民意を反映できるツールである、地デジ化やそれに伴う新しいテレビモニターの買い換えはエコロジカルであり省エネルギーの観点からも正しい、というわけです。今日の世界で民主主義とエコロジーに反対できる人はほとんどいません。そして私たちは地デジ化を進めることに疑問を持たなくなってしまいました。私はデジタルがいけないとか、地デジ化がよくないとか言っているわけでは決してありません。ただ、無声映画がトーキーに変わったときのように、何かが失われてしまうのではないか、その事を慎重に吟味すべきではないかと申し上げているのです。今日を限りに私たちは何かを失ってしまったのかもしれません。それはわからない。例えば、この10年、アナログという言葉は、古い、時代遅れ、質の悪い、低画質といった意味をまとって使われてきました。それに引き替え、デジタルは、新しい、未来はこちらにある、それは民主主義を支え、環境にもいいなどと言われてきました。でも、デジタルの悪いところ、すなわち私たち映画・映像の保存に関わる者が繰り返し言ってきたこと――たとえば長期保存についての多くの問題点、マイグレーションのコストのことなどはいつも脇に追いやられてきました。また、アナログのいいところ――例えばマシン・リーダブルではなくヒューマン・リーダブルであること等も取り上げられることは少なかったのです。ほんとうはアナログとデジタルの良いところと悪いところ、その4つを正直に比較してから多くの議論をすべきだったのかもしれません。しかし今回の地デジ・シフトも、無声映画の終焉と同様に、私たちのようなフィルム・アーキビストができることをはるかに超えたところで進行していきました。

映画フィルムはアナログの映像媒体の代表
アナログの映像媒体の一番にあるものが映画フィルムです。ここにある(床のフィルムを指して)ニョロニョロとしたものです。標準的には幅が35ミリ、1分間に90フィート進みます。薄さは、実際に測ってみると百数十ミクロンです。測ってみると、映画って三次元のモノなんだなあと実感します。そういうモノの中に非常に多くのデータを蓄えることができるのです。今、“ビッツ・オン・フィルム”という考え方も出てきており、35ミリ・フィルムの中にデジタルデータを、メタデータともども埋め込んで長期保存しようという動きも現れています。これは非常に面白いのですが、本日は時間がありませんので、その話はしません……。

フィルムの美しさ フィルムには特別なものが含まれている
私たちはこの映画フィルムを愛おしく思っています。フィルムの中には、特別なある種の眼に見えないものが含まれているとさえ、半分本気で思っています。時々私たちフィルムアーカイブで仕事をする人々はこんな冗談を言います――「フィルムの中には特別な化学物質が含まれていて、そのケミカルはフィルム・アーキビストたちを含むごく一部の人々にしか知らされていない。この不思議なケミカルは、特に可燃性フィルムに多く含有されており、人を健康にし、長生きさせる」。ほんとうに美しいフィルムというものを実は多くの人は見ていないのではないか、ということを考える必要があります。例えば、デジタル技術を開発する人たちは、ほんとうに美しいフィルムを完璧な映写では見るということをあまりしていないのではないか。例えば京橋のフィルムセンターで上映する場合、私たちは最良のフィルムを作ろうとしますし、完璧な上映を目指します。そしてフィルムの製品評価をきちんとします。現像所にはフィルムの硬軟、濃淡、色調などの焼き度を検定するタイミングという仕事をする人がいます。私たちはこの人たちと協力しながら、美しいフィルムはこうあるべきだという議論を重ねています。ほんとうにいいフィルムをほんとうにきちんとした映写機で、ほんとうにきちんとしたスクリーンに映写した時には――もちろん元が良くなければいけないのですが――まさに腰が抜けるほど美しいのです。劇場の暗さも、スクリーンの輝度も全てが揃った時、映画というものは実に美しいものとして私たちの前に現れます。若干自慢になってしまうのですが、私は1984年にニューヨークの近代美術館でグレタ・ガルボ主演の『ニノチカ』を可燃性フィルムのまま見ました。これほど美しいものはありませんでした。それからヒッチコックの『レベッカ』の可燃性フィルムをワシントンの議会図書館が保管していたものを、2000年にロンドンで見ました。この時は、ロンドンのBFI(英国映画協会)で<ラスト・ナイトレート・ピクチャー・ショー>というイベントが開かれたのですが、これは全世界から普通は上映できない可燃性フィルムを集めてきて特別の上映会が行われたのです。こういうものを見ると、フィルムの美しさに圧倒されます。特に大きなスクリーンで見ると、他のものでは比較できない美しさです。

20世紀半ば前の映画はフィルムで見た方がいい

大まかに言ってテレビというものが世界を席巻するようになった20世紀半ば以前の映画は、フィルムで見た方がいいと思います。仮に<プレTVの時代>とでも言いましょうか、いうまでもなく、無声映画、白黒映画などはその代表的なものと言えるでしょう。しかも大きなスクリーンで見るほうがいいのです。それからテレビ時代になった直後に70ミリ映画に代表される大型映画というものが現われました。お年を召した方は経験があるでしょうが、いまや若い人にはその真正な経験がありません。例えば『アラビアのロレンス』を新宿高島屋で見たとしても、それは私たちの世代が――私は今54歳ですが――小さい時に見た『アラビアのロレンス』の70ミリ版にはほど遠いものなんですね。かつて本物を見た人たちにとっては、『ライアンの娘』にしても『ドクトル・ジバゴ』にしても、にせものにしか見えない。プレTV時代の無声映画や白黒映画、ポストTV以後の大型映画はフィルムで見た方がいい。ただ、今やそれは大変にお金のかかることです。プリントを作るのは高価なことですし、簡単なことではありませんが、どこかで存続するでしょう。例えばノルウェーでは世界中から70ミリフィルムを集めてきて上映する<70ミリ映画祭>というのがあります。劇場や多くのところでなくなったとしてもどこかで存続するでしょうし、皆さんはぜひ見に行くべきでしょう。そして見に行ったらどこかにきちんと書きとめる必要があると思います。『アラビアのロレンス』を見た、と言うだけでは充分ではありません。どこで、いつ、どんな環境で見たかを記しておく必要があります。書きとめる理由の一つはのちのち“自慢”できるからです。もう一つは映画も他の劇場芸術などと同じで一回性のものであるからです。映画は複製芸術だから、いつどこで見ても同じだという考えは単純すぎます。映画をフィルムで見るということは、映画をかけがえのない一回きりの体験として記憶に――あるいは自らの身体に――刻み込むということでもあるのです。
フィルム
  35ミリフィルム


見たものを記録する
立川志の輔という落語家がいます。テレビにもよく出ていますから御存知でしょう。この方の落語は、噺はもちろんですが、枕もとても面白い。こんなことを言っています。アナログとデジタルの違いを御飯で説明するとすれば、「やや大盛りがアナログで、4000粒がデジタルだ」。非常にわかりやすいですね。さらに続けて、「アナログレコードはA面とB面があって、途中でひっくり返さなければならない。面倒くさいから一緒にしたらABがCDになった」。非常にクレバーですし、アナログとデジタルの違いがよくわかる枕だと思いますので、私はこれを“メタデータ”とともにメモします。つまり、内容とともに、<立川志の輔がバンコクで演じた落語『買い物ブギ』の枕で、自分は4月6日にパリへ向かうANA205便のオーディオ番組「全日空寄席」で聞いた>ということをどこかに書いておくわけです。これは皆さん、自慢になります。自慢のためには正確なメタデータがあった方が良いでしょう。それがしっかりしていれば、体験の一回性をより説得力をもって担保できます。ただ「志ん生を聞いた」というよりも「彦六の最後を末廣亭で聞いた」と言った方が良いですし、「2000年に改装したばかりの日生劇場で新之助の出た『海神別荘』を見た」と言えばもっとかっこいいことになりますね。こういうことが落語や演劇だけではなく映画にも言えるようになった……これは大事なことです。

映画との出会いは一期一会 美しいものへの敬意 ありがたみ
近年の映画から思いつくままに拾ってみますと、イーストウッド、キアロスタミ、スコリモフスキといった監督の作品は、フィルムで見た方が圧倒的に大きな感動を得られることに思い至ります。彼らに共通するのは、黒に対する繊細さ、意識的な闇の演出という点です。スコリモフスキの『アンナと過ごした4日間』などはテレビモニターで見るべきではないとさえ言いたくなるフィルム作品ですね。そして、ソクーロフもまた、そうしたフィルムで、映画館で、見るべき作家の代表であろうと思います。<ソクーロフの『モスクワ・エレジー』を2011年7月24日、渋谷のユーロスペースで、フィルムで見た、しかもその日にテレビの地上アナログ放送が終わった>――これはすごいことだと思います。みなさんは、そのメモによって、ソクーロフとその作品を自分の芸術鑑賞の“記憶アーカイブ”の中に完全にとどめることができます。映画というものの一回性、一期一会であることはほんとうにすばらしい。ありていな言葉でいえば、そこには<ありがたみ>というものがあります。みなさんは映画を見るためにここに足を運ばなければならなかった。ジャン=リュック・ゴダールは映画の特性の最終的なものは<運ぶことだ>と言っています。映画というものは運ばなければならない。そしてみなさんも映画館に足を運ばなければならない。それと全く逆にあるのがデジタルです。ユビキタス。いつでもどこでも見られて、暗くなくてもよくて、いろんな制限を取っ払って見られるものなんです。制限の多い映画の方は見るだけでも大変です。何時何分までに劇場に行かなければならない、いろんな仕事をやめて集中しなければならない。そうやって見るからこそ、その映画を<ありがたい>と感じる。ありがたみがあれば、映画という芸術への畏怖が生まれ、近寄りがたい美しさに対する尊敬が生まれるのです。こうした感情はフィルム体験によってしか得られないものでしょう。みなさんはおそらく今日の日本で最も文化的な方々です。なんといっても、ソクーロフがタルコフスキーを描いた映画を、テレビが一斉にデジタルになった日に、ここで、神聖なフィルムによって、見ることができるわけですから。

ありがとうございました。

(上記の文章は、講演採録に基づいて、本人により加筆・修正されています)


トークレポート 児島宏子さん(7/27)

7月23日(土)児島宏子さんによるトークの概要を報告します。
児島さんは、20年近くソクーロフ監督の通訳を担い、監督が信頼している方です。
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110723児島さん_21992年から
最初の通訳は1992年の<レンフィルム祭>(主催/朝日新聞社・国際交流基金)の時でした。ゲルマン、アラノヴィッチ、カネフスキーと監督たちが来日して、最後がソクーロフでしたが、ゲルマン監督が「ソクーロフは変わり者で…」(実は冗談だった)と言ったということが独り歩きし、結果私に任されました。ですが、監督はとても優しい方で、両手を広げて迎えてくれるようでした。「今『マリア』を上映しているからみてらっしゃい、私は表で待っています」と、自分の作品を見てほしい、という感じで、大変うきうきと心を弾ませているような姿が印象に残っています。

映像は強烈な武器だ。この武器を持つ人間は責任を持つべきだ
20年間経っても、彼自身の本質は変化してないですね。(作品は多彩に作っていますが)「映像は強烈な武器だ。この強烈な武器を持つ人間は責任を持つべきである」と言っていました。大学で最初は歴史を勉強してから映画大学に入りなおしています。思想的基盤というか考え方がしっかりしていると思いました。小さい時にお父さんの仕事の関係でポーランドに行くのですが、ソ連時代に一般の人が外に出る、ということは少なくて、だからでしょうか、ヨーロッパの雰囲気や感覚が身についていると思いました。歴史を基盤にしてものを見る、考えている方なので、時代の波にもまれる、といようなところはほとんどないのではないか、と感じました。

例えば「孤独な声」はソ連時代にはお蔵入りしていますね。ソ連が崩壊してみな自由になったと喜んだのですが、ソクーロフは違いました。「当時の思想に沿う作品ではないと資金を提供した国家が考えたので、オクラは、ある意味で当然だと思う。だが、作家に映画を作らせてくれた。その事実は重要である」と語っていました。
「プロデューサーシステムが導入され、資金作りが難しくなると売れるものにしか制作資金を出さないという状態、“市場経済の検閲”の方が制作できないだけ、作家にとっては過酷で厳しい」とも言っていました。国が崩壊したからといって新政権にすり寄って行くような態度が見られませんでしたので、感心させられました。


鑑賞するたびに異なるところが見えて欲しい
折々に様々な問いかけがソクーロフ監督になされますが、当たり前の答えには満足しない面がありますね。五感を総動員して対象をじっと見つめる。見つめるというと目でと思いますが、彼の場合は耳もそばだてて、嗅覚や味覚さえ駆使するかのように、全身全霊を全開させて対象に迫って行くような凄さが見受けられました。結果として、新たな発見が加わる普通ではない答えが浮上するようです。さらに、それを映像表現するための提示を絶えず探っているのではないでしょうか。匂いもかいでみたりします。例えば、コンクリートには匂いはないと思うのですが、「すごいなあ、日本人はこれだけのものを作る。凄い労働と技術だ」コンクリートの建造物や施設の表面をクンクン犬のように匂いをかぐのには微笑ましくなります。首突っ込んで、引き寄せて自分の感覚に取り込みたいというように対象に向かって接近するんですね。全てをご自分のものにしたいのでしょう。
必要な本は何度でも読むでしょう。自分の映画もそうなってほしい、何度でも見て、見るたびに異なるところが見えるようになってほしい、といつも言っています。

新作Faustはほぼ完成!
彼は6月14日に誕生日だったのですが、その前に電話をかけてきて「もう60歳になる、信じられない、こんなに年を取ったのかと思うと哀しい」と嘆くので、「カフカスの老人に比べたら、まだヒヨコじゃないの」と大笑いしながら言いましたら、ご自分でも笑い出しました。ソクーロフが電話をかけてくるときは仕事にほとんど関係がないので、こちらはがっかりします。「目の手術をする、失明したら死ぬ」と脅かして「無事におわるよう祈って下さい」と受話器を置いたりします。仕事関連では一度だけ「これからワンショットで撮る、エルミタージュにいる、どうか成功を祈って欲しい」と電話をかけて来ました。恥ずかしいことに、とっさに意味がよく分かりませんでした。受話器を置いてから、レンフィルムで無数の衣装を見せてくれた“エルミタージュ幻想”(後に命名された邦題)のことだと思い出したのです。今年私は監督の誕生日にモスクワにいましたので、お電話して「おめでとう」をいいました。『Faust』はすでにほぼ出来上がったと嬉しそうでした。「『Faust』は人々がこの先、そのような世界で生きるべきなのか、つまり、最も美しい世界を目指すべきではないかというような内容を持つ、先の三作品『モレク神』『牡牛座‐レーニンの肖像』『太陽』をおおう屋根になるような作品だ」と監督は大分前に言っていました。

緊急決定!「チェチェンへ」来場者プレゼント

「チェチェンへ アレクサンドラの旅」
来場者に、フィルムしおりをプレゼントいたします。
上映と同じソクーロフ監督の「チェチェンへ」のフィルムです!
以下、各回先着50名様にプレゼントいたします

7月26日(火)16:30の回
7月27日(水)19:00の回
7月31日(日)12:00の回
8月1日(月)  19:00の回

公開時、ロシアから到着したフィルムにプリントムラがあったため、
5ロール目を差し替えました。差し替え前のフィルムをしおりにしてプレゼントいたします!

どのシーンになるかは受け取ってからのお楽しみ~!!
(なくなり次第終了となりますのでご了承ください)

予告編をアップしました!

上映スケジュール・料金

 23(土)24(日)25(月)26(火) 27(水) 28(木) 29(金) 
12:00ヴィオラソナタ・
ショスタコーヴィチ
ソビエト・エレジー+
ヒトラーのためのソナタ
マザー、サンエルミタージュ幻想セカンド・サークル牡牛座
レーニンの肖像
ソビエト・エレジー+
ヒトラーのためのソナタ
14:00静かなる一頁
★トーク
児島宏子さん
モスクワ・エレジー
★トーク
岡島尚志さん
ファザー、サン牡牛座
レーニンの肖像
ファザー、サン孤独な声日陽はしづかに発酵し・・
16:30モレク神日陽はしづかに発酵し・・エルミタージュ幻想チェチェンへ
-アレクサンドラの旅
静かなる一頁ストーン/
クリミアの亡霊
ヴィオラソナタ・
ショスタコーヴィチ
19:00セカンド・サークルストーン/
クリミアの亡霊
セカンド・サークル静かなる一頁
★トーク
亀山郁夫さん
チェチェンへ
-アレクサンドラの旅
マザー、サン孤独な声
 
 30(土)31(日)8/1(月)2(火)3(水)4(木)5(金)
12:00牡牛座
レーニンの肖像
チェチェンへ
-アレクサンドラの旅
モスクワ・エレジーストーン/
クリミアの亡霊
モレク神孤独な声ロシアン・エレジー
14:00モレク神エルミタージュ幻想モレク神静かなる一頁エルミタージュ幻想セカンド・サークル日陽はしづかに発酵し・・
16:30マザー、サン孤独な声ロシアン・エレジーエルミタージュ幻想ロシアン・エレジーストーン/
クリミアの亡霊
マザー、サン
19:00ファザー、サンロシアン・エレジーチェチェンへ
-アレクサンドラの旅
牡牛座
レーニンの肖像
ストーン/
クリミアの亡霊
ファザー、サン静かなる一頁


料金 (すべて税込み)
当日 一般1500円 学生1200円 シニア・ユーロスペース会員1000円 高校生800円

前売り 1回券1300円 3回券3300円 5回券5000円

ソクーロフ監督よりコメントが届きました!

私の第二の故郷、日本の皆様へ 


苦難に遭遇し、今も困難に直面している故郷の皆様!
映画どころではない日々をお過ごしのことと思います。
ペテルブルク大学で一日も早い復興と、鎮魂の祈りを
捧げる集いを開くことしかできず、無力さを味わっておりました。
そんな折、私の作品をフィルムで上映してくださると聞き、励まされております。
ありがとうございます。全身全霊をかけて作った作品ばかりです。
お互いに強い気持を抱いて、新たにこの先を生きていきましょう。自然も人も本来は何にも増して美しいのです。その美から新たな力を受け取りましょう。

私の最新作「ファウスト」はほぼ完成しており、ヴェネツィア映画祭に参加予定です。この作品に関わる日々は、日本の皆様の苦悩と共にありました。私はいつも第二の故郷の皆様と共にあります。皆様のご健康と幸運を心から願って。 

                              アレクサンドル・ソクーロフ


2011
614

トークショー決定!

(全て上映前実施ゲスト・日程は予定です)

7月23日(土)14:00の回
<ソクーロフ20年の軌跡>
ゲスト 児島宏子さん (こじま ひろこ ロシア語通訳翻訳者)
ソクーロフ監督の通訳を約20年間。監督に全幅の信頼を寄せられている。また、ノルシュテイン監督作品など、ロシア映画の普及にも努めている。

7月24日(日)14:00の回
<フィルムの魅力>
ゲスト 岡島尚志さん (おかじま ひさし 東京国立近代美術館フィルムセンター主幹)
2009年、アジア人として初の国際フィルム・アーカイブ連盟FIAF(映画のフィルムを救済保存する70か国以上加盟の国際的組織)会長に選出(現在、副会長)。<映画フィルムを捨てないで!>をスローガンにした「FIAFマニフェスト」作成の中心的役割を果たす。

7月26日(火)19:00の回
<「罪と罰」とソクーロフの世界>
ゲスト 亀山郁夫さん (かめやま いくお ロシア文学者/東京外国語大学長)
「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」などドストエフスキーの翻訳者として知られる。近著「ドストエフスキーとの59の旅」(2010年/日本経済新聞社)など著書・訳書多数。

上映作品解説


静かなる一頁静かなる一頁

1993年/露独共同制作/モノクロ+カラー/77分 
音楽=グスタフ・マーラー「亡き子をしのぶ歌」(歌詞=フリードリヒ・リュッカ
ート/演奏=マリーンスキー劇場交響楽団)/O・ヌッシオ「音楽と絵画」(指揮
=G・ロジェストヴェンスキー)
原作:フョードル・ドストエフスキー「罪と罰」

ロシア文学の傑作「罪と罰」をソクーロフは大胆な解釈で、SF的ともいえる要素も交えて映画化。マーラーの歌曲「亡き子をしのぶ歌」はこの映画のために作曲されたかのごとく、効果的に使われている。


セカンドサークルセカンド・サークル

1990年/ロシア/93分/カラー
音楽:O・ヌッシオ「音楽と絵画」(指揮=G・ロジェストヴェンスキー)

父親の死で帰省した息子。入れ替わり立ち代りアパートに訪れる役人や医者への対応に追われる。ある者は横柄にある者は快活に。だが、一様に機械的で融通がきかない・・。監督は1990年の完成当時、「この映画は今のソ連(崩壊直前)を象徴する」と語っていた。


ストーンストーン/クリミアの亡霊

1992年/ロシア/カラー/88分

「セカンド・サークル」「静かなる一頁」と本作とで<生と死をめぐる>三部作を構成している。夜、誰もいないはずのチェーホフ館に人影が・・・。番人の青年が覗くとチェーホフが服を着たまま水を浴びている!蘇ったチェーホフとこの青年との交流がモノクロの映像と神秘的な音響で幻想的に描かれる。








ヴィオラソナタヴィオラソナタ・ショスタコヴィチ (劇場未公開)

セミョーン・アラノヴィッチとの共同監督
1981年/ソビエト/80分

ショスタコヴィッチの音楽と生涯についての作品。旧ソビエトで最高会議代議員であり、数々の賞を授与された彼は、実は反体制派だった・・。アラノヴィッチが無名のソクーロフを共同監督に抜擢した本作は、ペレストロイカまで公開禁止だった



ソビエトエレジーソヴィエト・エレジー

1989年/40分

後にロシア共和国初代大統領になったボリス・エリツィンをとらえたドキュメンタリー。トロツキー、レーニン、スターリンに始まりゴルバチョフなど、ソビエト連邦歴代有力政治家が紹介され、じっとエリツィンの姿をとらえる。「ペテルブルグ・エレジー」でシャリアピンの息子をじっと長時間、写しだしたように、やはりこの作品でもエリツィンを延々と追う・・・。




モスクワエレジーモスクワ・エレジー (劇場未公開)

1986-1987/ソビエト/88分

タルコフスキーについてのドキュメンタリー。ソクーロフはタルコフスキーの個性と思い出に本作を捧げた。ちなみに終章に流れるチェロは、同じく亡命者だったロストロポーヴィチによるものである。





日陽はしづかに日陽はしづかに発酵し・・

1988年/ロシア/カラー/138分
原作:「世界終末十億年前」(ストルガツキー兄弟著 邦訳:群像社)

中央アジアの荒涼としたウラン採掘坑跡地を舞台に、ロシアと中央アジアの青年の交流を軸に、スターリンの強制移住に端を発した民族問題、イスラム教とキリスト教古儀式派との関係、核開発による自然破壊など、複雑なロシア現代史が隠喩のように込められている。フクシマ後、この映画の伝えるメッセージは深い!



モレク神モレク神

1999年/露独共同制作/カラー/102分

ベルヒテスガルテンの山荘でのヒトラー、エヴァ、側近たち。モレク神とは、子どもを人身御供にさせた古代セム族の信仰に由来する神の名で、旧約聖書では悲惨な災いや戦火の象徴とされる。「ヒトラーを徹底的に<ひとりの男>に引きずり降ろさなければ歴史の悪循環は断ち切れない」と語るソクーロフの描くヒトラーとは・・・



ヒトラーのためのソナタヒトラーのためのソナタ

1979-1989年/ソビエト/モノクロ/10分
音楽:J.S.バッハ<無伴奏フルートソナタBMV1013>

ヒトラーとスターリンという同時代を生きた二人の独裁者の人生を、スティル構成で対比させた。セリフがまったくなく、群集の喚声や不気味な不協和音が画面を覆うが、不思議な静けさと緊張感に満ちている。ちなみにソクーロフはヒトラー、レーニン、ヒロヒトと20世紀の3人の権力者をテーマに本作以外に、3本の映画、「モレク神」(1999年)「牡牛座 レーニンの肖像」(2001年)「太陽」(2005年)を作っている。




マザーサンマザー、サン

1997年/独・露共同製作/カラー/73分/ドルビーSR 
音楽:グリンカ、ベルディ他

病む母はまもなく訪れる死を息子の愛の中で待っている。二人の暮らしはつましい。ゆく夏を惜しむような陽射しの中を二人は散歩する。ゆたかだった生が向かうのは、静謐な祈りと死の世界。殺戮に満ちた20世紀を癒すように映画の時間は流れる。「マザー、サン」には母と息子の二人しか登場しないが、彼らは近代を生き延びた人間の普遍的なモデルなのである。




ファザーサンファザー、サン

2003年/独・露・仏・伊・蘭共同製作/カラー/84分
第56回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞

歴史ある静かな街に暮らす退役軍人の父と、軍人養成学校に通う息子。父親は職を求め、息子は悪夢に苛まれていた。ロシアとなった現代の戦争、アフガン戦争を背景に死の影が漂う一方で、画面は一幅の絵画のようだ。



牡牛座牡牛座 レーニンの肖像

2001年 ロシア カラー スタンダード 94分
2001年カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品
2001年ニカ賞最優秀監督賞・作品賞・主演男優賞・女優賞・撮影賞・脚本賞・美術賞受賞
ロシア映画評論家協会最優秀最優秀監督賞・最優秀作品賞・主演男優賞・主演女優賞・撮影賞・脚本賞・美術賞受賞

最初の脳梗塞の発作による療養中のレーニンと看病する妻と妹や、権力掌握を目前にして喜色満面たるスターリン、監視する兵士など周辺の人々を描いた。共産党政権下で育ったソクーロフ監督は、自らカメラを回すほど力を注ぎ、ロシアのアカデミー賞に相当するニカ賞の各部門を総ナメにした。ソビエト政権崩壊がなければできなかった作品。



チェチェンへチェチェンへ アレクサンドラの旅

2007年 露仏共同製作 92分
出演:ガリーナ・ビジネフスカヤ
2007アメリカ映画協会time for peace 賞・最優秀欧州映画賞他受賞多数

チェチェンのロシア軍基地に赴任中の孫に会いに行くアレクサンドラが見たものとは・・。全編実際のロシア軍基地で撮影。アレクサンドラ役のビシネフスカヤは、チェリスト、ロストロポーヴィチ夫人で、撮影当時80歳の世界的オペラ歌手。



孤独な声孤独な声

1978年=1987年/ソビエト/カラー/86分

ソクーロフの全ソ国立映画大学卒業制作で第一回監督作品。ニキータとリューバの愛の物語。タルコフスキーの擁護にもかかわらず、当局から上映禁止処分を受けた。理由は明らかにされてないが、ひたすらコンクリートをこねる労働者の姿、貧しい市民生活の描写なかにされてないが、延々とコンクリートをこねる労働者のシーンなどが、当局のカンに触ったのだろうか?



ロシアンエレジーロシアン・エレジー

1993年/露/カラー/68分 
音楽:チャイコフスキー「子供のためのアルバム」より<フランスの古い歌>

冒頭、黒い画面から微かに聞こえてきてくる息づかい、痰を切る音。闇があけてくるに従い、死の床にある患者と看病する女性がいるとわかる。夢なのか、死に向かう者の見る幻想なのか、静謐さの漂う画面は一切の解釈を拒否する。監督自身は本作を「ロシア的感情のスケールの映画だ」と語っている。



エルミタージュエルミタージュ幻想

2002年/露独日(NHK)共同製作/カラー/96分
オリジナル音楽演奏:ロシア国立エルミタージュ交響楽団/音楽演奏:マリーンスキー歌劇場管弦楽団(指揮:ワレリー・ゲルギエフ)/特別出演:ワレリー・ゲルギエフ
2002年トロント国際映画祭最優秀造形賞・2003年サンフランシスコ映画批評家協会賞・ドイツ映画撮影賞・2004年ニカ賞最優秀美術賞・アルゼンチン国際映画祭最優秀外国語映画賞他

美術品が陳列されたままのエルミタージュ美術館(世界最大所蔵品数300万点以上)内部を使い、ロシア近・現代300年間の歴史を、映画史上初の90分ワンカットの手法で描いた映画史上最も贅沢な作品!世界的に大ヒット!!



上映作品決定!

静かなる一頁  セカンド・サークル  ストーン/クリミアの亡霊
モレク神  ヴィオラソナタ・ショスタコヴィチ  ソビエト・エレジー
モスクワ・エレジー  孤独な声  ヒトラーのためのソナタ
日陽はしづかに発酵し・・  ロシアン・エレジー  マザー、サン
ファザー、サン  チェチェンへ―アレクサンドラの旅
牡牛座 レーニンの肖像  エルミタージュ幻想

ソクーロフティーザー




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