7月23日(土)児島宏子さんによるトークの概要を報告します。
児島さんは、20年近くソクーロフ監督の通訳を担い、監督が信頼している方です。
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110723児島さん_21992年から
最初の通訳は1992年の<レンフィルム祭>(主催/朝日新聞社・国際交流基金)の時でした。ゲルマン、アラノヴィッチ、カネフスキーと監督たちが来日して、最後がソクーロフでしたが、ゲルマン監督が「ソクーロフは変わり者で…」(実は冗談だった)と言ったということが独り歩きし、結果私に任されました。ですが、監督はとても優しい方で、両手を広げて迎えてくれるようでした。「今『マリア』を上映しているからみてらっしゃい、私は表で待っています」と、自分の作品を見てほしい、という感じで、大変うきうきと心を弾ませているような姿が印象に残っています。

映像は強烈な武器だ。この武器を持つ人間は責任を持つべきだ
20年間経っても、彼自身の本質は変化してないですね。(作品は多彩に作っていますが)「映像は強烈な武器だ。この強烈な武器を持つ人間は責任を持つべきである」と言っていました。大学で最初は歴史を勉強してから映画大学に入りなおしています。思想的基盤というか考え方がしっかりしていると思いました。小さい時にお父さんの仕事の関係でポーランドに行くのですが、ソ連時代に一般の人が外に出る、ということは少なくて、だからでしょうか、ヨーロッパの雰囲気や感覚が身についていると思いました。歴史を基盤にしてものを見る、考えている方なので、時代の波にもまれる、といようなところはほとんどないのではないか、と感じました。

例えば「孤独な声」はソ連時代にはお蔵入りしていますね。ソ連が崩壊してみな自由になったと喜んだのですが、ソクーロフは違いました。「当時の思想に沿う作品ではないと資金を提供した国家が考えたので、オクラは、ある意味で当然だと思う。だが、作家に映画を作らせてくれた。その事実は重要である」と語っていました。
「プロデューサーシステムが導入され、資金作りが難しくなると売れるものにしか制作資金を出さないという状態、“市場経済の検閲”の方が制作できないだけ、作家にとっては過酷で厳しい」とも言っていました。国が崩壊したからといって新政権にすり寄って行くような態度が見られませんでしたので、感心させられました。


鑑賞するたびに異なるところが見えて欲しい
折々に様々な問いかけがソクーロフ監督になされますが、当たり前の答えには満足しない面がありますね。五感を総動員して対象をじっと見つめる。見つめるというと目でと思いますが、彼の場合は耳もそばだてて、嗅覚や味覚さえ駆使するかのように、全身全霊を全開させて対象に迫って行くような凄さが見受けられました。結果として、新たな発見が加わる普通ではない答えが浮上するようです。さらに、それを映像表現するための提示を絶えず探っているのではないでしょうか。匂いもかいでみたりします。例えば、コンクリートには匂いはないと思うのですが、「すごいなあ、日本人はこれだけのものを作る。凄い労働と技術だ」コンクリートの建造物や施設の表面をクンクン犬のように匂いをかぐのには微笑ましくなります。首突っ込んで、引き寄せて自分の感覚に取り込みたいというように対象に向かって接近するんですね。全てをご自分のものにしたいのでしょう。
必要な本は何度でも読むでしょう。自分の映画もそうなってほしい、何度でも見て、見るたびに異なるところが見えるようになってほしい、といつも言っています。

新作Faustはほぼ完成!
彼は6月14日に誕生日だったのですが、その前に電話をかけてきて「もう60歳になる、信じられない、こんなに年を取ったのかと思うと哀しい」と嘆くので、「カフカスの老人に比べたら、まだヒヨコじゃないの」と大笑いしながら言いましたら、ご自分でも笑い出しました。ソクーロフが電話をかけてくるときは仕事にほとんど関係がないので、こちらはがっかりします。「目の手術をする、失明したら死ぬ」と脅かして「無事におわるよう祈って下さい」と受話器を置いたりします。仕事関連では一度だけ「これからワンショットで撮る、エルミタージュにいる、どうか成功を祈って欲しい」と電話をかけて来ました。恥ずかしいことに、とっさに意味がよく分かりませんでした。受話器を置いてから、レンフィルムで無数の衣装を見せてくれた“エルミタージュ幻想”(後に命名された邦題)のことだと思い出したのです。今年私は監督の誕生日にモスクワにいましたので、お電話して「おめでとう」をいいました。『Faust』はすでにほぼ出来上がったと嬉しそうでした。「『Faust』は人々がこの先、そのような世界で生きるべきなのか、つまり、最も美しい世界を目指すべきではないかというような内容を持つ、先の三作品『モレク神』『牡牛座‐レーニンの肖像』『太陽』をおおう屋根になるような作品だ」と監督は大分前に言っていました。